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個性とはの話。

彼岸花の枯れた花と入れ替わるように葉が青々と伸びてくる時期になった。

 

どうしようもなく深い憎しみや悲しみにとらわれた事は無いように思います。

本当にどう、仕様も無い、人を殺すか自分が死ぬかの2択しか目の前に見えないほどの強い思いを持ち合わせた事は、いまだにありません。そんな生温かな日々を過ごしています。よく覚えていませんが。

真面目にひたむきに生きていません。

あまりにも生きる事を軽んじた考えがこの身体の血管を巡っています。それでも自分が生きている事に変わりないので結局は個人差と言う便利な言葉で済ませられます。個性とも言えます。

 

特別何者かになりたいと言うのは、つまれば多くの人に認知されたいと言う事だと考えます。自分はお前らとはこんなにも違うよ、私にはお前らに無いすさまじい個性があるよ、俺は俺だけだよ、と。

たくさんの人から「あなたは変な人だね」と言われて、それはいつしか電波に乗せて再生回数やフォロワーなどの数字によって証明されるものだと信じてやまない人が、います。

動画には再生回数が表示されツイートにはインプレッション、プロフィールにはフォロワー数、友だち数、肉体とは毛ほども関係の無い数字が踊っています。それはいつしか精神と結びつき、肉体を侵し、自分自身そのものをあらわす数字になります。そして個人は数字となっていきます。

 

注目を集めたければ繁華街の歩道に自動車で突っ込んでナイフを振り回したり、ガソリンをビルにまき散らして己もろとも火を放ってみたり、ひとつ宗教をおこして政治家に立候補してみたり、中学生のうちに児童の首を切って校門にそえたりなどすればよいものです。

しかし、それではいけないのです。例えそうした行動を起こしたとしても、自身にはどれだけの数字がついているか確認できません。いくらニュースやワイドショーが連日取り上げても具体的な数字は、誰がどのくらい反応してくれているかの数字は見えず、満たされる事は無いでしょう。

 

それでも、人間の命の数に関わるほどの行動を起こせると言うのは、とても人間らしいと自分は思います。それほどの強い思いを抱けるほど、自分自身の生命に自我を見いだせる魂は、個性と呼ぶのに十分足りえます。

 

自分は個性と言うあまりにも不確定で不正確な言葉をハナから信用していないので、今後それを獲得する事は無いのでしょう。つまらないものです。

 

おわり。


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