…わはは。
お酒で自我を失くしてアニメの世界に入り込む事に限りない幸せを感じます。
お酒で酔うと、まず自己嫌悪から解放されます。
そして自己嫌悪と言うアイデンティティ、自我統一性、他ならぬそれそのもの、自分自身を失くして、何にもなくなれます。何にでもないと言う事は、何にでもなれます。
そのような状態で、汚い感情の無い自分の想う理想的な世界、つまり人の手で創られたアニメや漫画や小説なんかの作品に自分を無色透明を落とし込む事で、自分は完全にその世界(アニメや漫画等)の色の欠片になれるのです。心から現実を離れられる、酔いが醒めるまでのシンデレラの魔法はかかりますが、それでもシンデレラの資格も無い自分にとっては棚からバーミキュライト違う石鉄隕石メソシデライトです。我が家に棚はありません。
つまるところ他に替えのきかない程貴重で大切な感覚、体験なのです。
その日々によって自己も違うし酔い方も違う。その日その時間に酔った自分は同じようであるが別物であり、2度とは無い感覚の共有をします。つまりは今噛みしめる程の惜しい幸せを感じている。
2度とあの現実に帰りたくないと想いながら引きずり出される自分を察して眺める事しかできませんが、それも明日の自分にお任せします。少なくとも今日今この瞬間の自分が幸せである保証はグラスの残り残量に全額ベットできます。そして眠るまでの勝利は疑う事も無く確約されています。ですから条件の整ったお酒は幸せの形をしているのです。
例え明日が休日であろうと、酔いの醒めた自分には天国とさほど変わらない地獄を強いて眺めさせられるだけなのです。
今は間違いの無い、幸せです。
おわり。