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おとなとは何なのか考える話。

さましみさしみ。

 

文字がおどっている。違う。踊っているのは自分の眼球。

踊ると蛹は部首が違うだけでよく似ている。

踊る蛹は気持ち悪いので小学生の頃に石ですりつぶした記憶がある。

すり潰しても気持ち悪くて、白くて石でつっついてねちょねちょして…。嗜虐心…むごたらしい事を好む心は確かに自分にありました。その自分はずっと昔に死んでしまいました。今の自分は、蛹をつぶしてやや気持ち良くなる事は無く、嫌、そんな事をしなくなっただけで、いままた再び蛹をつぶしてみればわかる事で、しかしそんな事をしては蛹が可哀そうと思うのです。

このちらと見て思いやりとも取れ、大人になったと見える心持はすべて嘘っぱちで、ただ自分のやらない理由を探してくっつけているだけです。自己保身の能力が上がる事を大人とは呼ばない。自分はそれを人間性の経年劣化と呼ぶ。

 

大人。

年をとれば、様々な人と関われば、色々な経験を果たせば、あれを知る事ができれば、大人に近づけるのかも知れません。自分には人間性の経年劣化にしか見えませんが。本当の大人に、…自分はいったい何をもってして「大人」たりえると言えるのかいまだわかりかねます。かねません?どっちだ?わからないと言う事です。「大人」の条件とは何か誰にも教わった事が無く、また自分でも考え続けて結論の出ない事であります。

 

久しぶりに酔って思考がよくまわり、結果まわっているだけで結論を出そうとしない出てこない見ようともしない事はわかっているのですが、こんな時間がなかなか楽しいのではないでしょうか。

考えているふりで、脳みそのうわずみ3分の1くらいのところで単語がふよふよとゆるやかにまわっていて、「それなんだっけ」と思っているような次第です。

しかし今自分は生きている実感をありありと感じています。目が良く見えます。色を見る事が出来ます。キーボード、マウス、モニタ、光、眼鏡、全てに意味がありました。

 

おわり。


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