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洗濯物をたたむ話。

幸せになりたいかと問われれば、まず自分にとっての幸せが何かを定義したいと答えるこじらせた人間がいます。

そいつは何1つわかっておらず、今まで幸せだったと感じた事もないんかと思い聞いたところよくわからないとのたまい。お前にはなすすべが1つとして無いんだねえと哀れみ、そのくらいでちょうどいいかと思いました。

どうしようもない人間は確かにいます。

ただ死んでいないから生きて、目的も無く、何者の操作も介入していないNPC、「ようこそ水槽に浮かぶ脳みそ村へ!」。鏡を見ているようで嫌になります。

 

自分は鏡をほとんど見ないし自撮りもしないので、時々人から写真を撮ってもらったりするとそこに映る人が他人にしか見えません。変な感じです。きっと遺影を見ても自分の顔はそこにありません。

 

この間植物園に行きました。

そこにはまだ死に損なっている色褪せたあじさいと、待ちわびていた彼岸花と、きれいな花が沢山咲いていました。とても感動しました。

 

自分の命の終わりを想像する時、それはいつも今の自分の姿です。自分の中年や老人になった姿を想像するのは難しいものですから当たり前かもしれません。ただ生きる事を望まれるのは嬉しいので、自分の機能から何を失くせば生きる事を望まれなくなるのか考えます。自分は望まないので、望んでくれる人の考えなどわかるわけはないのでした。死んでもいい理由が欲しいと思います。

 

洗濯物がたまっているのでたたむとします。

お風呂は命の洗濯と言いますが、いくらどぶ水を洗濯しても薄まったどぶ水があるだけなので、洗濯するものはきちんと選択しましょう。野焼きの薪にでもくべてしまえと思います。火葬と野焼きの違いはなんだ。

 

たたむぞ。

 

おわり。


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