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もしかしたら明日幸せになるかもしれない話。

今回もちゃんと家のトイレでげろを吐けた。

 

特に何も無い日々があります。

朝は目覚まし時計に起こされ、日中働き、日が落ちる頃に帰ってきて、シャワーや餌を済ませ、眠るまでのいくらかの時間で何かを、何かを…します。

かつては趣味と呼べたはずのものが多くあったはずなのですが、今はすまほをすいすいしているだけで眠らなければならない時間になります。眠り、また翌日同じ、同じ!変わらない変えられない腐っていくだけの明日を続けます。ずっと今日を繰り返していて、明日になっている気がしません。明日になっていないのに何故か年齢が増え爪は伸び脳みそは濁り沈殿して腐って腐ってアルコール消毒でも追い付かず、腐って、見るに堪えない有様です。酷くって近寄りたくないので、せめて見ないふりをしています。ベルトコンベアーに流れるお刺身のパックにたんぽぽを添えている気分です。

ただただ、情けない人間もいたものだと思います。

やりたい事も夢も守るべきものも無い人間はこうも見ていて寂しい醜悪な姿になるのかと、生身の自分を棚に上げて鏡に映った自分を哀れみます。見たくも無いのでいなくなってほしい。

それでも死ぬのは痛そうだ怖いだと理由をつけて死ねず、生きていたくないと言いながら死ねない姿はやはり、純粋に情けない。

しかし明日、もしかしたら今までの最悪を全て帳消しにしてさらにおつりが溢れる程の幸せが訪れるかも知れない。「起こりもしない事」の項目を見なければ自分にはわからないので「起こるかも」知れません。

 

最近は外も涼しくなり、鬱々とした事を嬉々として考えられる良い時節になってきました。特に気落ちするような事も無くなりました。柿やみかんが楽しみです。

 

おわり。


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