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アニメや漫画の最終巻を見たくない話。

夜ご飯はビールとりんご。

 

いつだって物語の終わりは見たくありません。

小説や漫画の最終巻、アニメの最終回、読み終わってしまったら、見終わってしまったら、そこで本当に終わってしまいます。

もう続きが無く、ただ終わってしまって、それっきりです。

続きを自分で妄想しようにもそれは間違いの無いただの妄想で、わかっているからこそ自分で続きを創る事は不可能なのです。少なくとも、自分はそう思います。他人の人生を自分が創り上げる事は不可能ですしあってはいけません。

もはや作品は、作者の1人脳内劇場ではなく、確かに自分の目の前に見えて脳みそで認識できる現実と何ら変わりないのです。

例えそこに自分は存在していなくても、モブの視点を借りて、あるいはそのコマや映像の枠組みを借りて、自分はそこにいたのです。確かに自分の感情はそこにいました。

 

どうかモブでも木でも空気でも画面枠でもいいから、自分が死ぬまでその輝かしい日常を見せ続けてほしい。そんな事を今までどれほど、数えきれないほど思い続けてきたでしょうか。

創られた物語であるからこそ、ゴミみたいな現実の不条理でさえデフォルメされた世界で、どこまでも優しくてきれいな世界で、自分はただ見続けていたいのです。見続けて、いつかインクがなくなり描かれなくなった時、いつか映像にノイズが入って再生できなくなった時、その最後を見て千切れるように意識を失い2度と目覚めたくないのです。

 

だから、物語の最後は見たくありません。

勝手に感情移入した自分が勝手に自分の別の死を迎えてしまうだけです。ひどくばかばかしく、自分勝手で、夢見過ぎで、現実逃避そのものなのですが、それでも自分にとっては間違いの無い本物なのです。失いたくありません。

 

今日もまた1人自分が死んで失われてしまいました。何度も読み返して見返して弔い続けます。

 

おわり。


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