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時の止まった時計。

 はたしてそれは時計と言えるのかと考えますがこんばんは、キノセイです。

 

 時計と言うモノは<時間を刻むため>にあります。つまり<時間を刻む事>が時計の存在意味です。

 そして時計が止まる――時を刻む事が出来なくなった時、時計は時計として存在していると言えるのでしょうか。

 ここで「あ。壊れた」と言って時計を捨てる事はとても簡単です。当然、普通とも言います。

 でも自分はその時計を捨てずに、もう少し待ってみたいと思うのです。何かの偶然でまた動きだすかもしれない、すこし揺さぶって触ってみれば動くかもしれない、と思うのです。

 自分が好きなとある本の登場人物が、「時計だってたまには休みたいのかもしれない、自分の好きな時間を刻んでいたいのかもしれない」というような事を言っていました。

 

 さてここで話を少し変えましょう。

 自分たち人間と言うモノは何のためにあるのでしょう。ぶっちゃけ知らん。いやはや本当に何で生まれてきたんやろなあ。これこそ人間の数だけその答えがありますね。

 自分は、17歳の自分は今んところ、<青春する為>にここにあるんだと思います。だって青春してる時が一番「生きててよかった」っておもいますもん。つまりもうそれが生きてる理由ってことでおk!

 まあこれがあと80年くらいしたらちょこっと考えが変わるかもしれませんが、とりあえず今の自分は、ってことです。

 

 はい。前半の時計の話は何もつながらないですね。自分の部屋にある時計が止まっていたのを、これを書く時に見つけたので何となく書いてました。ここで深い意味を見出すのがこれを読んでくださってるあなたの役目です。タッチ交代任せました。

 

 それではノシ


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